2013年のアメリカ無罪評決と1992年の実体験をおもう2013/07/16 23:08

アメリカ・フロリダ州の無罪評決に対し、抗議デモが行われた。
1992年のロサンゼルス暴動が思い出される。

当時、彼の地で仕事をしていて、暴動を目の当たりにした。

市長が非常事態宣言を出していたが、それを知らない私は普通に、近くのセブン・イレブンに買い物に行った。
道路に一切車はなく、まずそこで異常な事態を感じ取ったが、
機関銃を構えた兵士を乗せた戦車と出遭い、映画の様な1シーンを見たことに戦慄を覚えた。

セブンイレブンの店員は
「Are you OK? There is curfew occured!」らしきことを言ったが、煙草と飲み物は普通に売ってくれた。
私はカフュー(curfew)って何だ? と思いながら会社に戻った。

そこではじめて非常事態宣言を知ったのである。

そしてその時の仕事は、生涯最大の予算の仕事だったので良く覚えている。

公営ギャンブルのCMで、宇宙飛行士と少年の交流を35mmで撮影し、映画館だけでなく、府中のオーロラビジョンという当時とても大きなスクリーンで上映するというもので、
ロケは、フロリダのNASAをはじめ、海岸で二人が馬に乗って走るところを空撮するなど、これ以上お金かけられないでしょ、くらいのバブル末期の大型CMだった。

広告代理店、日本の大手制作会社の下請けで受注した仕事であったが、構想を企画したのは当時、私が働いていた会社の社長、団塊世代のバリバリの活動家だった。


競合のDとH等を落とし、難なくコンペに打ち勝った。

私が空港に一行を迎えに行き、車でホテルに案内する間、
大手制作会社のプロデューサーが最初に言った一言が


「これからどこでプレーですか?」

私は意味がわからず、
「えっ? プレーって何ですか? まずはホテルにチェック・インと思っておりますが」

「お前、何言ってんだよ、ゴルフに決まってんだろが!」

この最初のぞんざいなひとことで、そうかこいつらは、ロケ立ち会いという名目で遊びに来てるんだと、
いうことを理解した。
で、社長にすぐに報告。社長は彼らにまじめに伝えた。


「うちは、そういう接待的な仕事わかんないし、やらないから。ゴルフ行きたいなら自分たちで行ってよ。
遊びのコーディネート予算ははいってないから。」

で、この人たちは、社長がいないと、マイアミへのフライトはファーストクラスだよね?とか、ロスで一番の日本食はホテル日航じゃないんだよね一番のところへ連れていけとか、いろいろいうわけですが、私が切れたのは、散々飲んだ後に


「暴動で焼けた町を見せろ」

こいつらは本当に腐っていると思い、
私は、自分もおそれおののきながら、ひとり素面でダウンタウンの焼跡へ向かった。

炎はおさまっていたとはいえ、まだ、煙の臭いは立ち込めていた。

私は言った。

「到着しました。どうぞご覧ください。」
「・・・」固まる一行。

「どうしたんですか? 降りて見ないんですか? あなたのリクエストできたんでしょ?
車、降りてしっかり見ろよ!」


最後のところは英語で4文字言葉を交えて言ってやった

彼らは言葉を失い、足がすくんでいた。
レベルの低い大手制作会社の連中に閉口したものだ。

20年以上たってもこのシーンは忘れられない。


そしてアメリカは銃規制法律をつくることを求められているのだと、思いを強くした。


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